東大赤門 [名珍写真]
これは、東大の赤門である。
加賀藩13代藩主前田斉泰は、1827年に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を嫁に迎えた。
当時の慣わしとして、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える際には、朱塗りの門を建てた。
東大の赤門は、往時の原型を残す唯一の門である。
屋根の上の棟瓦には葵の紋、軒の丸瓦には前田家の家紋梅鉢がつけてある。
因みに、大村小学校には黒門が残っている。
正式には、五教館(ごこうかん)御成門である。
五教館は、大村藩の藩校で、その起源は寛文10年(1670)に設立された集義館にさかのぼる。
五教とは、儒教の中に出てくる、
「君主と家臣との間には義がある。
親と子には親があり、
夫婦には別あり、
年長のものと若い者の間には序列がある、
友人同士には信がある」
という5つの教えを示している。
当初は、現在の大村公園内にあった。
その後、静寿園と改められ、また、寛政2年(1790)には、規模を大きくし、五教館と名を改めた。
五教館では、武士だけでなく一般の人々にも入学が許可された。
士、農、工、商の身分の違いが厳しかった江戸時代には珍しい教育であった。
今の場所に移転したのは、天保2年(1831)のことであった。
現在、県指定史跡となっている。
大村小学校では、卒業や入学する児童が通ることが長年の伝統となっている。
因みに、私は東大赤門には行ったが、焼肉赤門にはまだ行ったことがない。
千葉を離れる前に焼肉赤門行かないとね。
by nimo (2006-10-08 01:23)
千葉を離れる前に焼肉赤門行かないとね。
by nimo (2006-10-08 01:24)
やっぱりダブった。
by nimo (2006-10-08 01:25)
行く機会あるかなぁ。
てか、俺もブログ書くときダブったよ^^;
by usk (2006-10-13 01:36)